この日のシェフ エンツォ・パッリの母上は、トスカーナ州シエナの名門キージ・サラチーニ伯爵家の料理人だったという。シェフは、その日使う材料の特徴や調理法を一つ一つ詳しく説明してくれて、とても丁寧な授業だった。
マグロの切身と辛味を利かせたレンズ豆、海の幸をふんだんに使ったカンノーリ、じゃが芋のフランとリヴォルノ風ヒメジのフィレ、スペルト小麦のプディング。
エンツォ・パッリに限らずシェフ達がリストランテの料理を作る時の一つの考え方として「古いレヒピを一旦分解し、再構築する。」と話してくれることが度々あった。古いレシピの構成要素を一旦分解し、別の素材に入れ替えたり、新しい料理法を使うのだ。郷土料理を一度分解して組み立てなおす。それにはその料理に対する深い理解がなければならない。長い時間をかけて淘汰され現在残ったその料理は、その時点で味の上ではもう工夫のしようもない程完成されたものだと思う。それをリストランテで出すために、できればオリジナル以上に美味しくしていくのは至難の業だ。
例えば、この日のメニューのじゃが芋のフランとリヴォルノ風ヒメジのフィレは、トスカーナの沿岸部の街リヴォルノの青朴な料理「ヒメジのリヴォルノ風」、これはヒメジという見た目もぱっとせず、味も淡泊な魚を丸ごとトマトで煮たものだが、リストランテの料理であるこの日の料理の作り方は違ってくる。まず魚を三枚におろして、その骨とトマトを一緒に煮て魚の出汁の効いたソースを作る。魚の方は、フライパンで静かに形を崩さないように焼く。それを薄切りにして広げたじゃが芋の上に立派な海老と一緒にそっと置いたら、オーブンで焼き、裏ごししたなめらかなソースをかけて勧める。確かに美味しいが、何か迫力がなくなってしまって味の上でも、実は見た目でも原形を超えられたかというと疑問だ。魚の形が崩れようがぐつぐつと煮た魚がドーンと目の前に置かれた方が私は気持ちが浮き立つが、このような料理はリストランテでは出せない。

今や世界に冠たるモデナの「オステリア・フランチェスカーナ」は、まだその店が近所の人が気軽に料理を食べにくるオステリアだった時の名称をそのまま継承している例だが、イタリアの料理店は高級な素材を洗練された盛り付けで出す「リストランテ」と、家庭的な料理を暖かい雰囲気で出す「トラットリア」に分かれる。それよりももっと庶民的な「オステリア」はどちらかというと一杯お酒を引っかけに入るような店だ。但し現在では先の例も含めてトラットリアやオステリアと言ってもかなりの高級店もあるので、名称はその店のコンセプトを表している場合も多い。ただしリストランテと銘打っているからには、客が手で魚の骨をつまむような料理は出せないということは確かだ。ヒメジのトマト煮をなんとかナイフとフォークだけで食べられるように、粗野な郷土料理をリストランテで出すために工夫したのだ。
エンツォ・パッリの料理の一番のお気に入りは、「スペルト小麦のブッディーノ」。ルッカはスペルト小麦の一大産地で、正に地物の食材を使ったドルチェだ。小麦のプリンと聞けば驚くが、柔らかく煮た小麦と甘く爽やかなオレンジの果汁を合わせ、刻んだチョコレート、玉子そして生クリーム、もちろん砂糖も合わせてオーブンで焼いたもの。アマレーナのシロップ漬けと緩いチョコレートソースが添えられていた。この地域にしかないドルチェはとても美味しかった。シェフが「素朴極まりないが栄養があるし、保存もきくよ。」と言って誇らしげに出してくれた。(2010.3.11)
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