イタリアに着いて初めての土曜日は、皆と一緒にルッカの街に出かけ、ローマ時代の面影を残すアンフィテアトロ広場に面する「リストランテ・カヌレイヤ」に行って夕食を取った。小さな町のリストランテというものはいいものだ。夕暮れ時にそこだけぽっと明かりがついている。ドアを開けると、ナイフとフォークが微かにたてる音、楽しそうなおしゃべりや笑い声。シェフのパオロは、かつて東京のサバティーニ・ディ・フィレンツェでシェフを務めた人で、奥様は日本人。お二人で料理のことを丁寧に説明してくれた。私が食べたのは鳩のラビオリとミラノ風のカツレツ。皆がそれぞれに興味のある料理を頼み味わった。日曜日はルームメイトのエリちゃんとてくてく歩いてスーパーに買い物に行ったり、一緒にご飯を作ったり、翌日の料理講習のレシピを辞書を引き引き読んだりして過ごしたが、部屋の中は相変わらず寒く、暖房をつけても一向に暖まらない部屋で凍えた。
明けて月曜日はジャンルーカの授業。メニューはアジアゴチーズとキノコの取り合わせ、グリルしたアーティチョークのマリネ、野菜のファルチアとクレープ、ミラノ風リゾット、仔牛肉のオッソブーコ、そしてトルタ・デッラ・ノンナ。
ジャンルーカのタルトは絶品だ。「タルトの材料はまとめるだけでこねてはいけないよ。」と言いながら、台の上に粉を広げると千切ったバターや玉子、それにオレンジの皮をたっぷりと削って手早く混ぜ、全体をまとめたら大きな手でほんの数回押して綺麗な生地にしてしまう。いわゆるパスタフローラだ。「トルタ・デッラ・ノンナ」つまり「おばあさんのタルト」は、この生地をのばしてタルト型に敷きこんだら一度空焼きし、カスタードクリームを入れて同じ生地で蓋をする。上にたっぷりの松の実を振ってオーブンでこんがりと焼く家庭的なドルチェだ。たった二つの構成要素、パスタフローラとカスタードの出来が全て。シンプルなものほど材料が重要でかつ難しい料理であることの典型だ。粉はパスタやピッツァを作るファリーナ00より一段粗い0粉を使う。さらさらとしたこの粉を使うとタルト生地がさっくりと焼けるが、それでもこねすぎれば不要なグルテンが出来上がって焼き上がりが固くなるし、どこまでこねるかの微妙な見極めは本人の経験としか言いようがないのだと思う。要するに手わざである。生地を押していてああここだなと思ったところというよりも、それさえ考えなくても自然に手がとまるのだろう。ジャンルーカはおそらく10代のころからやっているはずだ。

中に入れるカスタードクリームを作る。鍋に牛乳を入れてレモンの皮を少し入れる。レモンの皮を入れて沸かすと牛乳にレモンの香りが付いて、他の材料と合わせてじっくりじっくり木のヘラでかき混ぜながら火を通すと、爽やかな香りのカスタードクリームが出来上がる。パスタフローラにはオレンジの皮を入れ込み、カスタードクリームにはレモンの皮でお香りをつける。初日のドルチェもそうだったが、ジャンルーカは柑橘類の香りをドルチェに付けるのが本当に上手い。
飾り気もなにもないドルチェだが、さっくりした生地がほろっと崩れたところに柔らかいカスタードクリームが乗っかった姿はいかにも美味しそうだ。口に運ぶと柑橘類の香りをふっと鼻に抜けるし、噛むと松の実の香ばしさが広がる。全く言う事の無いドルチェだ。宝石のような華やかなドルチェが必要な場もあるだろうが、家族や本当に親しい人達と食事をするなら、だれもが美味しいと思うこんな優しいドルチェで食事を締めくくりたいと思う。お婆ちゃんのタルトという名前の所以。祖母の膝の暖かさを思い出してしまうそんなドルチェ。いつか私も作れるようになるのだろうか、長い長い年月をかけて。
(2010.3.8)
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