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Reginella Campagnola~村の娘~

手作り生パスタ教室「Il Sole」の主催者が日々の生活をお伝えします。



イタリア料理を知る その6 :: 2022/05/23(Mon)

学校が始まって一週間。一番年若の翼が言い出して金曜日の夜に「フェスタ」をすることになった。「フェスタ」って何!要は何か持ち寄ってお疲れ様会をしようというわけだ。3ユーロずつ出し合って、山を下りたところの小さなスーパーでワインとビールを買い、どこで調達したのかチーズやサラミなどを持ち寄って男子の寮の一屋部に集まった。私が最年長の40代、20代から30代までまんべんなく揃っていて、後は10代の翼。ローマで乗り換える時に、首にかけた貴重品を入れた袋をお腹のところでしっかり押さえながら、「ここでパスポート必要ですかね・・・」と話しかけてきた彼は、いがくり頭に華奢な体つき、十五六歳にしか見えなかった。こんな幼い少年が一人でイタリアに来てしまって一体どうしたことかと思ったが、人を年齢や外見で判断してはいけない。高校卒業後にホテルの厨房で働いていた彼は、初日の実習で小さなオレンジを大きな包丁を使ってやりにくそうに剥いていた私に、「これでやると楽ですよ。」とそっと果物ナイフを渡してくれるできる青年だった。明るく人懐っこい彼が断トツに若かったので、皆でからかったり、いや可愛がることで私達はなんとなくいつも和やかに過ごすことができたと思う。

女性は私を含めて4人。私以外は20代の後半だった。将来はカフェをやりたいと話していた彩子ちゃんは、以前にもイタリアの他の地域に住んでいたことがあって、イタリア語も皆よりは随分できた。初めて4人でローカル電車に乗ってフィレンツェに行った時、チケット売り場で「Un biglietto per Firenze.,per favore.」というのだと教えてもらい、一人ずつ窓口でその通りに言って切符を買ったりした。彼女たちからしてみれば大分年上の私を、どこに行くのでも誘ってくれて嬉しかったし有難かった。

男子の面々は、年齢も出身地も経歴もさまざまだった。料理関係の仕事をしていた人がほとんどだったが、皆仕事を辞めてきているし、結婚している人、幼い子供もいる人もいた。先のことを考えれば不安だらけだったと思うが、とにかくイタリアに着いて学校が始まり一週間が終わったという安堵感にこの時は浸っていたと思う。また、この学校はもともと日本におけるイタリア料理人を養成することを目的として設立された為、この当時、生徒のほとんどは日本人だったが、今回のメンバーの中にはアメリカ人のアランとイタリア人のマルコがいた。アランは寮生活だったということもあって私達といつも一緒にいた。しばらくすると彼に日本語で話しかけてしまうほど親しくなった。夜が更けるまで小さなグループがいくつもできてはまた別のグループを作り、いろいろな事をこの時に話したと思う。(2010.3.5)

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