第Ⅸ章 テーブルワインの素顔「テーブル・ワイン」という言う用語がある。フランスでは
「ヴァン・ド・ターブル」と言い、ドイツでは
「ターフェルヴァイン」という。
これらは直訳すれば全て
「食卓用のワイン」ということだが、これらには彼らの食文化の歴史から生ずる概念の違いがある。
イギリス人の「テーブル・ワイン」は、食事の時に飲む「ドライ」なワインのことであり、これを「アペタイザーやデザートワイン」と区別する。イギリス人にとってワインは彼らの食事の歴史に後から追加されたものである。彼らにはワインを飲まなくても喉を通る食事が先に有り、その食卓へ取り組みにくい強い甘みや特別な芳香りを持つワインだけがテーブルワインの範疇から排除されたと思われる。
なぜ彼らが本来必要のないワインをことさら食卓に添えるのかと言えば、食卓の内容をより豊かにしたいという強い思いからであり、イギリスのテーブル・ワインはそのような食卓を飾るに相応しい「ハレ」の日の為の銘醸ワインを含むものである。
これに対しフランス人の「ヴァン・ド・ターブル」とは、彼らの日常のありふれた食事に供されるワインであると考えられる。通常、毎日の家庭料理とともにあるワインは、食事の内容と同じく入念に吟味されたものが飲まれているわけではない。その一方でフランスにはどんなに吟味された料理でもなかなか太刀打ちできない、むしろ少量の極上のチーズとパンでその重厚さや繊細さを堪能するしかない銘醸ワインが存在するのである。これらはヴァン・ド・ターブルとは明らかに区別される。つまり「ヴァン・ド・ターブル」とはあくまでも日用の「ケ」の日のワインなのである。
ワインを常飲する彼らには、あまたの土着のワインを時の流れという篩にかけて選りすぐった銘醸ワインが存在し、日用のワインと、その上に格付けされる銘醸ワインは明確に住み分けられている。
日本のワイン生産者は、我々がワイン文化を持たないゆえに、酒質の向上こそ消費の拡大の最良策とみて日用ワインを銘醸ワインの品質に近づけることを目指す。日本人のワイン常識がともすれば最高級銘醸ワインの例を他の全てのワインに当てはめる弊に陥るのは、ひたすら銘醸ワインを目指す生産者の事情が反映しているとも考えられるが、本来これらのワインは広い裾野の上の頂点に立つほんの一握りのワインなのである。
以上
私、発見してしまいましたよ♪♪♪この章の導入部で麻井のおじちゃんは、『ワインにことさら食卓用と限定の形容を被せるのは、食事とワイン飲用は一体のものであるのに余計なことではないだろうか。味噌汁にわざわざ「食卓のための」とことわりを加えれば奇妙になるのと同じである。』とおっしゃっている。
つまり、第Ⅲ章で私がふと思った「ワイン御みおつけ説」はあながち間違っていないということですか?!もちろんテーブルワインに限りますが。
70年代、日本人のワインに関する興味は、銘醸ワインに限られていたのですね。最近ではデイリーワインと言って、雑誌でも「3,000円代のデイリーワイン特集!」などと組まれているのをよく目にします。ですが、私の「ワイン御みおつけ節」が正しいとすれば、一家で3,000円の御みおつけって高すぎるよ~!
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