この本を図書館で見つけた時は、所謂、イタリア料理に関する「お婆ちゃんの知恵」の類が満載の本だと思って手に取った。
著者は、アンジェロ・ペッレグリーニ 1904年トスカーナの農家に生まれ、10歳でアメリカに移住、ワシントン大学の文学部教授であった人物である。1991年没。原書は1980年代に初版が、翻訳されたこの本は1996年に晶文社から発行されている。
「私はおいしい物が好きだ」で始まるこの本に、小手先のテクニックはない。人間が食べていく上の大切な事が書かれていると思う。アメリカの工業製品のような食物に対する痛烈は批判は、現代の日本にそっくりそのまま当てはまるようで悲しくなる。とは言え、決して堅苦しい本ではなく、著者がキッチンで熱心に美味しいものを作り、うっとりと味わう記述には思わず微笑んでしまい、こちらもすぐさま台所に行って湯を沸かしパスタでも茹でたい気持ちになる。
私は神保町の古本屋で見つけて買ったが、図書館の書架にはもうなかった。古い本なので奥に保管されているのかな。
イタリア料理に興味のある方は是非ご一読を!
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しばらくブログを更新していなかった。本の世界に埋没してしまった・・・。
「肉食の思想」鯖田豊之著の再読。1966年初版。この著書の「課題」は、人間にとっていちばん基本的な食生活の面から、ヨーロッパの思想的伝統の奥底にあるものを掘り出し、その特質を明らかにすることである。
風土的条件から、身近にいる動物を殺してその肉を食べて生きるヨーロッパの人々は、人間と動物の間にはっきりと一線を画し、人間をあらゆる生物の圧倒的「上位」に位置づけた。この人間と動物を明らかに「断絶」する「人間中心主義」こそヨーロッパの思想の根源的な部分であると語られている。
今まで漠然と感じていた彼らとの考え方の違い。それが動物と人間をそれほど厳しく分類してこなかった我々農耕民族の思考と比較することによって解明されていて、非常に面白く何度読んでも新たな発見がある。
日本人と動物との関係についての解りやすい例として、オオクニヌシの尊と因幡の白うさぎの話が出てくる。我々にとって「兎」は、お月さまでお餅をつく可愛い存在であって食べる対象ではない。
その昔、初めてイタリアの肉屋でずるむけの兎ちゃんを見た時は、なんとも痛ましく可哀そうに思った。そして、なるほど「因幡の白うさぎ」はこうゆう状態だったのかとじっと凝視してしまった。しかし、オオクニヌシの尊は心優しい。真水で洗って乾かさないようにしなさいというのだから。イタリア人だったらパルミジャーノ入りパン粉をつけてカラッと揚げてさっさと食べてしまうかもしれないし!
しかし、肉食肉食というけれど、子供の頃に見たアニメ「フランダースの犬」のネロ少年が肉にかぶりついていた絵はついぞ見たことがないし、「アルプスの少女ハイジ」だっておじいさんと一緒に食べていたのはパンとチーズだったように思う。一体どういうことなのかと疑問を持ちつつ読んでいたら、要するに肉食とは「牧畜と農業が一体化されているヨーロッパにおいて、肉そのものはもちろん、牛や山羊から取る乳、その乳から作るチーズなどの副産物を摂取することを含めて肉食なのである。」と定義してあってなるほど納得。その意味において彼らも立派な肉食であるということだ。
それでは昨今の「肉食系女子」という言葉はどうか。
この「肉食」は、人間が他の動物の肉を食べると言う意味ではない。動物の分類としての「草食」に相対する「肉食」である。つまり「獣」という意味か。ここのあたりが曖昧、即ち人間と動物を明確に分けていないという事が、我々が農耕民族たる所以なのだと思った。ちなみに同じ種の動物を食うのであれば「共食い」というのではないか。
それにしてもハイジがペーターと山に行き、ペーターに山羊の乳をしぼってもらってごくごく飲んでいる様子は魅力的だったし、干し草のベッドで寝てみたいと本当に思ったものだ。皆があんな子供時代を送れたら本当によいのに・・・。何かとりとめのない話を・・・失礼しました。明日からちゃんとブログ更新します。
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