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Reginella Campagnola~村の娘~

手作り生パスタ教室「Il Sole」の主催者が日々の生活をお伝えします。



イタリア料理を知る その13 :: 2023/07/04(Tue)

授業もなく、どこに出かけるのでもない日曜日。働き者のマサが朝から洗濯をしている。
毎日着るコックコートは、週に一回マリエッラが回収してそれはそれは真っ白にして戻してくれるのだが、その他の洗濯ものはそれぞれがする。寮には中庭の物置の脇に洗濯機もあったが、下着類はお風呂に入る時に洗って部屋に干し、その他のものは休日に手洗いして庭に干した。日曜日になると中庭やベランダは干した洗濯物でいっぱいになった。

学校では調理実習以外でも4人一組の班で、朝食の準備、調理実習の時の食材の下ごしらえ、昼食や夕食の配膳とその後片づけをする。4班あるので4週に一回もろもろの事の当番が回ってくる。学校生活が始まってしばらく経ったある日、当番でもないマサがどの作業でもいつもいるのに気が付いた。とにかくよく働く。実習の時も床が少し汚れているのに気が付くと、さっと箒とちりとりを持って来て掃除をするし、全てにおいて動作が機敏でだらだらしているところを見たことがない。マサがいつもいるから、私達もなんとなく引きずられて自分の班の当番でなくてもこの雑用と思われる作業に参加した。しかし、これらの作業の中の調理実習の準備こそ、実はとても重要だということに気が付いた。魚の下処理などはほとんどこの時にされていて、見逃してはならなかった。また、数か月後にレストランの研修に入る皆にとっては、一連の作業を地道に毎日毎日繰り返してするということもとても大切なことだったのだと思う。
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マサは学校が終わった後、ルッカの「バッテルフライ」という星付きのレストランに研修に入った。その後ドバイに渡り、縁があってまたトスカーナに戻ってくる。カパンノリの「セレンデピコ」というレストランのシェフになった時に、併設するホテルに泊まりがてら会いに行ってマサの料理を初めて食べた。丁寧な味。お皿の上の豊かな色彩。夢のある盛り付け。ホテルは石造りの建物で、私が行った季節は紫の藤の花が、持ち得るだけの生命力で大きく膨らんでいてそれはもう見事だった。トスカーナのよいところを全部集めたようなところだと思った。朝散歩していると、ホテルのオーナーのご高齢の男性に「マサの友人かい。」と話しかけられた。「マサは本当によく働くよ。本当によくやっている。」と言われて、変わっていないなと思った。この時だったが定かではないがマサが「イタリアでもドバイでも、厨房に入った時は、大きな体格の現地の人間に馬鹿にされることもある。でもしばらく一緒に働いて、働き方を見せると認めてくれるようになるんだ。」と言った。その働き方は生来のものなのか、それとも学び取ったものなのか。私達は、あの場所あの短い期間すれ違ったに過ぎないけれど、彼から学ぶことができたと思う。マサは美しい妻と子供とともにまだトスカーナにいる。セレンデピコを2回目に訪れた時は子供が生まれたばかりで、店を背にして広がる平原を目の前に「本当に素晴らしいところでしょう。」とほほ笑む姿、数年前のあの時は想像もしなかった。
(2010.3.16)


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イタリア料理を知る その12 :: 2023/07/03(Mon)

イタリアの料理学校に来たといっても、成田空港からローマ経由でピサに到着し、そのままバスでルッカまで来て2週間。ルッカ以外の場所に行くこともなく、イタリアに来たというよりもルッカに来たといった方が正しい。この日は女性4人でバスに乗り、ルッカの中心部に出てお昼を食べた。駅に近いピッツェリア。確か泰子ちゃんが日本で通ったイタリア語学校の友人も加わり5人でテーブルを囲んだと思う。泰子ちゃんは、イタリアに来る前にしっかりイタリア語を勉強してきていて、以前にもイタリアに滞在歴のある彩子ちゃんとの二人は、料理実習の後、昼食を挟んで行われるイタリア語の授業では上級者のコースに入っていた。ルームメイトのエリちゃんと私は初級者コース。振り分けの面接が初日にあり、先生の質問が本当に一言も分からなかった。先生の困惑した、その後にこりゃ駄目だといった顔が今でも忘れられない。ルッカに行く前にNHKのイタリア語講座の初級くらいは聞いて行こうと思ったのだが、仕事の引継ぎ等で忙しく勉強する時間はなかった。本当に挨拶以外、数も数えられないまま到着してしまったのだ。

イタリア語の最初の授業、品のよい顔立ち、優しい笑顔のアンナリーザがペットボトルの蓋をつまんでいった。「タッポ」。この学校を出た後はそれぞれ、レストランの厨房で研修に入るのだから、まずは調理に関する物事をイタリア語で解るということは重要だ。数年後にルッカの語学学校に通って分かったことだが、その他は基本的にイタリア語が全く分からない人向けの段階を追った授業だったと思う。隣の教室の上級者用コースでは、文章になったイタリア語が聞こえてくる。それに比べ私達初級者コースでは、お昼ごはんを食べた後で、皆眠くなりうとうとし始めると、アンナリーザがどこからか見つけてきたサッカーボールを手に取り、これを投げ合いながら知っている魚介類の名前をイタリア語で言いなさいと皆を引き連れて中庭に出る。皆がオラータ(鯛)、コッツェ(ムール貝)、カラマーリ(烏賊)などと言いながらボールを投げ合っているという具合だ。

私は学校を出た後にレストラン研修には参加せず、家庭料理を知るためにイタリアの家庭に滞在しながら各地を回る予定だからまだよいが、この語学力で数か月後には厨房に放り込まれるクラスメイト達は大丈夫なのだろうかと皆の前途を思い心配するというか、厨房でシェフの指示をイタリア語で受けて調理する彼らの姿が全く想像できなかった。

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初級者から上級者までてんでばらばらのこんな語学力で、日々の調理実習でイタリア人シェフのいう事は理解できていたのかというと、森田さんという素晴らしい通訳がいて問題はなかったのだ。さっぱり分からないイタリア語。文法の複雑さは勉強する気持ちを萎えさせる。ある日の夕食に森田さんと同じテーブルになった。何の話をしているときだったか、森田さんがイタリア語には猫が泣くという意味の「ミャゴラーレ」という動詞があるのよと言った。なんと可愛らしいと思った。なんとなくイタリア語が好きになれそうな気がした一瞬だった。森田さんがイタリアのペルージアの大学でイタリア語を学んだ初日は、一本の無声映画を見ることから始まったという。映画を見終わった後に、ストーリーを確認するとほぼ想像した通りだったと。言語はコミュニケーションの道具だが、人の表情や立ち振る舞いなど、言語以外の事が実はとても大事だということなのか。自分たちの言語を教える前にそんなことを伝える学校は素敵だなとも思った。
(2010.3.14)


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イタリア料理を知る その11 :: 2023/05/02(Tue)

「なぜ、下処理の見本として置いたカルチョーフィを他のものと混ぜたの。」と眉を吊り上げた厳しい表情で言われた。ごもっとも。カルチョーフィ、つまりアーティチョークの堅い萼(ガク)を何枚も取り、縦に半分に切ったら、中のもそもそとした綿毛のようなものも取る。そのやり方を見せてくれて、この通りにやりなさいと見本を一つまな板の上に置いてくれたのに、自分で処理したものと一緒に混ぜてしまった。あく抜きの為にレモン汁を垂らした水の中に、全部ぷかぷかと浮いている。この日のシェフ、マニュエラ・マンガーニはピサ近郊でケータリング専門の飲食店を営む女性のシェフだ。料理は、「情熱」、「知識」、「経験」である。実習に入る前の座学で、他の人よりも一段のりの効いたコックコートを着ていると思わせる彼女が言った。この日の料理も、トスカーナの伝統料理を一度分解して再構築したものだ。ズッキーニとタイム、酔いどれダコと白いんげん豆のミニサラダ、アーティチョークとスミイカのサラダ、スミイカ入りパスタ生地を重ねたミニラビオリ、塩ダラのオリーブ風味に松の実入り緑色のパン粉添え、洋ナシのワイン煮生クリーム添え。
 
彼女は引き締まった表情を変えずに続けた。「トスカーナの料理は、素材を長く火にかけ、カロリーが高いものが多いのです。昔は暖房がない家も多かったし、肉体労働をする人がほとんどだったから。現代は人々の働き方も変わったし、住環境もよくなりました。それに合わせて、我々料理人も料理法を変えていかなければなりません。お客様の健康を考えることは料理人の重要な役目です。」マニュエラの他にも、料理人は薬の処方箋を書くように、食べる人の健康を考えて料理をしなければならないと言ったシェフがいた。家庭料理において家族の健康を考えて料理を作るようなことが、本当にリストランテでもされているのだろうか。

マニュエラは話を続ける。「トスカーナの料理は貧しい人達が作った料理が非常に多い。どんな残り物でもそれを使ってもう一品。残り物を他の物に変える料理法はトスカーナ料理の大きな柱です。残ったパンも絶対に捨てません。湯剥きしたトマトの皮も捨てません。パンはパン粉に、トマトの皮は乾燥させてパン粉に混ぜて赤いパン粉を作りなさい。工夫して無駄をしないように。それはリストランテの経営にもつながることです。」 

確かに、学校のオーブンの上には、食事の時に残ったパンを置くところがあって、スライスされたトスカーナパンが無造作に転がっている。オーブンを使っている間にパンが乾燥し、からからになったら専用の機械で引いてパン粉にするのだ。日本の家庭料理だとほとんど揚げ物にしか使わないこのパン粉を、イタリア料理では香草を混ぜて魚の上に乗せてグリルしたり、野菜の詰め物にしたり、ドルチェを作ったりともっといろいろな使い方をする。 料理が余ったらもう一度手をかけて、家族の口の中に入れる。料理人はお客様の健康を考えて料理をつくる。トスカーナの料理は貧しい。けれど優しい。そんなところに徐々に惹かれていった。(2010.3.12)

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イタリア料理を知る その10 :: 2022/10/09(Sun)

この日のシェフ エンツォ・パッリの母上は、トスカーナ州シエナの名門キージ・サラチーニ伯爵家の料理人だったという。マグロの切身と辛味を利かせたレンズ豆、海の幸をふんだんに使ったカンノーリ、じゃが芋のフランとリヴォルノ風ヒメジのフィレ、スペルト小麦のプディング。

エンツォ・パッリに限らずシェフ達がリストランテの料理を作る時の一つの考え方として「古いレヒピを一旦分解し、再構築する。」と話してくれることが度々あった。古いレシピの構成要素を一旦分解し、別の素材に入れ替えたり、新しい料理法を使うのだ。郷土料理を一度分解して組み立てなおす。それにはその料理に対する深い理解がなければならない。長い時間をかけて淘汰され現在残ったその料理は、その時点で味の上ではもう工夫のしようもない程完成されたものだと思う。それをリストランテで出すために、できればオリジナル以上に美味しくしていくのは至難の業だ。

例えば、この日のメニューのじゃが芋のフランとリヴォルノ風ヒメジのフィレは、トスカーナの沿岸部の街リヴォルノの青朴な料理「ヒメジのリヴォルノ風」、これはヒメジという見た目もぱっとせず、味も淡泊な魚を丸ごとトマトで煮たものだが、リストランテの料理であるこの日の料理の作り方は違ってくる。まず魚を三枚におろして、その骨とトマトを一緒に煮て魚の出汁の効いたソースを作る。魚の方は、フライパンで静かに形を崩さないように焼く。それを薄切りにして広げたじゃが芋の上に立派な海老と一緒にそっと置いたら、オーブンで焼き、裏ごししたなめらかなソースをかけて勧める。確かに美味しいが、何か迫力がなくなってしまって味の上でも、実は見た目でも原形を超えられたかというと疑問だ。魚の形が崩れようがぐつぐつと煮た魚がドーンと目の前に置かれた方が私は気持ちが浮き立つが、このような料理はリストランテでは出せない。
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今や世界に冠たるモデナの「オステリア・フランチェスカーナ」は、まだその店が近所の人が気軽に料理を食べにくるオステリアだった時の名称をそのまま継承している例だが、イタリアの料理店は高級な素材を洗練された盛り付けで出す「リストランテ」と、家庭的な料理を暖かい雰囲気で出す「トラットリア」に分かれる。それよりももっと庶民的な「オステリア」はどちらかというと一杯お酒を引っかけに入るような店だ。但し現在では先の例も含めてトラットリアやオステリアと言ってもかなりの高級店もあるので、名称はその店のコンセプトを表している場合も多い。ただしリストランテと銘打っているからには、客が手で魚の骨をつまむような料理は出せない。ヒメジのトマト煮をなんとかナイフとフォークだけで食べられるように、粗野な郷土料理をリストランテで出すために工夫したのだ。
  
エンツォ・パッリの料理の一番のお気に入りは、「スペルト小麦のブッディーノ」。ルッカはスペルト小麦の一大産地で、正に地物の食材を使ったドルチェだ。小麦のプリンと聞けば驚くが、柔らかく煮た小麦と甘く爽やかなオレンジの果汁を合わせ、刻んだチョコレート、玉子そして生クリーム、もちろん砂糖も合わせてオーブンで焼いたもの。アマレーナのシロップ漬けと緩いチョコレートソースが添えられていた。この地域にしかないドルチェはとても美味しかった。シェフが「素朴極まりないが栄養があるし、保存もきくよ。」と言って誇らしげに出してくれた。(2010.3.11)


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イタリア料理を知る その9 :: 2022/08/04(Thu)

ルッカ県のカンパノリ生まれのジュセッペ・ジオルゲッティの料理は、この土地の素材を生かした心温まるものだった。鶏もつのラグーソースの揚げクロスティーニ、赤ピーマンの小さなスフォルマート、黒キャベツのラビオリ 松の実とトマトのソース、フラントイオ風ズッパ、のうさぎの狩人風、洋ナシのシャルロット。

またまたズッパの登場だ。学校が始まって一週間ほどしか経っていないが、ズッパがメニューに上がらない日はほとんどない。今日のズッパはフラントイオ風というルッカの伝統的な料理。黒キャベツや豆などのを入れて煮込む。

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私の手元にイタリアの商工協会Confcommercioが発行したルッカのオリーブオイルの歴史とそれを使った料理のレシピ集がある。学校を卒業して数年後、ルッカでアパートを借りた時に、私がイタリア料理を勉強していると知った大家さんが持って行きなさいと手渡してくれたものだ。その本の中にもフラントイオ風ズッパは出てくる。「ズッパ(Zuppa)という言葉は、水に浸したパンという意味の中世の言葉スッパ(Suppa)に由来する。数世紀を経て人々はこのスッパを、野原を歩いて摘んだハーブなどを加えるなどして、この上もなく、じつに見事なズッパという料理にした。」との説明書きの最後に、少量のエキストラバージンオリーブオイルによってより美味しさが増すとある。確かに濃度のあるズッパにオリーブオイルを垂らすと香りもよくなるし旨味も足されて、格段に美味しくなる。このフラントイオ風ズッパの写真には皿の縁に厚切りのパンがどっかりと置かれている。ズッパというとパンそのものが煮込んであるもの、トスカーナの郷土料理であるリボッリータ(再び煮るの意味)がそのタイプで汁で煮込んだパンがどろどろだ。また、この日のメニューのフラントイア風ズッパやズッパ・ディ・ペッシェのようにパンがそえられていて汁を染み込ませて食べるもの。それとは別に、由来とは違ってパンが見当たらないものもある。いづれにしてもしっかりとした濃度があるものだ。

数年前、ルッカの語学学校に通った時に、学校近くの家庭に食事つきで下宿させてもらったことがある。 夫婦と高校生の男子を筆頭に4人の子供がいる食欲旺盛な家族。朝はあわただしく、寝ぐせも可愛い子供達が缶に入ったビスケットをわしづかみにして学校に出かけ、昼は家でお父さんの作った大鍋一杯のパスタを食べていた。そして夕食はだいたい家で取った鶏のブロードを使ったミネストラ。ミネストラはパンが入らずズッパよりも濃度は薄くもう少しさらさらしたものだが、野菜が沢山煮込まれたスープの中にその日によってや豆やパスタを入れて出してくれた。その後はアリスタなどの肉を少し食べて終わり。この時は11月だったのでもう少し寒くなるともっとどろどろとしたズッパのようなものを食べているのだろうか。その前の年のほぼ同じ時期にやはりルッカでアパートを借りて滞在した時、よく通った総菜屋さんのスッパ・ディ・ファッロ(麦のズッパ)はしみじみと美味しかった。何度も買っていたら、「この方が美味しいでしょ。」とオリーブオイルをかけてくれるようになって嬉しかった。多分イタリア人はこういう野菜や豆の煮込みで健康を維持していて、日本のイタリア料理店ではあまり注目されないこ手の料理こそイタリア料理の最も重要な部分なのではないかと思う。
(2010.3.11)


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